瞑想教室 report

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諏訪伝説


 

火傷

二年前、親子3人でスキーに行った先の民宿でのことです。夜もふけたころ、風呂で息子が小さな火傷をしました。私がうっかりシャワーの温度を上げていたからです。
「子供に火傷をさせたら、親の資格は無い」と常々母より教えられてきた私は、その瞬間、頭の中が真っ白になりました。街灯もほとんどない山奥には、当然病院もありません。あせった私は、119番していました。

息子を乗せた救急車は赤信号をとばし、一時間もかかる町の病院へ向かいます。その間私は、息子への申し訳なさと自分を責める気持ちでいっぱいでした。「意地でも涙を見せるものか!」と不退転の決意していたあの夫の前で泣き崩れたほどです。


翌日、昨夜のあわてぶりとはうって変わって、息子はケロッとしています。親子三人で雪投げもできました。実際にはたいした火傷ではなかったのでしょう。しかし、私の心は打ちひしがれたままだったのです。

親の資格

家に帰るなり、いく代先生に電話をしました。
「…そう大変な思いをしたのね」
「そうなんですよ!」
「しかし親の資格が無いって、誰が決めたの?」
「だっ、誰がって、火傷ですよ。火傷!」
「じゃあ、他の怪我ならいいの?」
「いいんです!」
「それが生死に関わるような怪我でも?」
「いいんです。火傷じゃなかったら」
「そう。火傷だけ、親の資格が無くなるの?」
「はい」
「あら〜」
いく代先生は、笑いをこらえ始めました。
「だって、昔からそう言いますよね?」
「私、知らないわ」
「いく代先生が、知らないだけです!」
「はぁ〜。じゃあ、親の資格って何? それを極めると免許皆伝があるの?」
「はっ?」
「それ、お母さんが言ってたの?」
「おばあちゃんも…ですが…?」

諏訪伝説

私はようやく理解しました。
ニンニクを食べたあとのオナラが臭いのと同じくらい当り前であった私の「常識」は、個人の狭い環境で培われた特異な価値観と気付いたのです。
それ以来いく代先生は、私の"激しい思い込み"を母の旧姓の文字を借りて「"諏訪"伝説」と呼ぶようになりました。


こうした「諏訪伝説」が、私の中にあとどれくらい潜んでいるのでしょう。その価値観からの判断は、今の私には当り前すぎて、他者から「それが間違っている」と指摘されても、まったく理解できないのです。むしろ「相手の考え方が間違っている」と相手を責めてしまう方が多いのです。

私の正義=周りの迷惑

このまま「自分の正しさ」に疑問を持たずに生きていれば、他の母親が子に火傷させた話を聞いたなら、その母親を心の中で責めたり、バカにしたりしていたでしょう。家族のちょっとしたミスを、時には1時間にわたるほど延々と説教する「正義感の異常に強い夫」をみていてもそう思います。
それではテロや戦争の正義となんら変わりません。


とにかくそれを改善するには、まず自分の「正しさ」の根拠を全て疑うつもりで自己を観察するしかないのでしょう。
いつか狭い自分の価値観を外した視点で物事を捉えられるようになれば、自分を責めるのも、他人を責めるのも減り、もっと自由に生きられると思っています。

「戦争反対!」と外に向かって叫ぶ方法。
自己の内面に、戦争と共通の原因を見つけ、それを減らしていく方法。
どちらも平和な世界を作る手段ですね。


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