瞑想教室 report

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さぼり癖発見!


 

仕事のミス

ある日、会社の人から「ノートPCの電源ケーブル」が見つからないと言われた。前回、それを片づけたのは僕だった。
僕は仕事で野外の電界強度を測っている。二人一組で行動してるため、現場から戻った後は、二手に分かれて「PCや周辺機器」と、「データ」の整理をし、その日の業務を終えるのだ。2日前のことだったが、所定の場所にそれを戻した感覚は、あるような…ないような。
それから考えられる場所を探してみたのだが、結局出てこなかった。
その後、無くした事を責められはしなかったが、自分のいい加減な部分を見られた思いと、初歩的なミスとで、とっても悔しかった。


「運がいい」と唱えているのに…

だがそんな反省と平行して、「いつも心の中で“運がいい”と唱えているのに、なんでこんな嫌な思いを…」そう思った。すると、いつの間にか自問自答をしていた。


自問自答を始める

なぜ、なくしてしまったのか?(以後、印は自問)
「…ノートPC本体に関しては、作業終了時にいつも直していた。ただ、電源ケーブルに関しては正直言ってノートPC本体のように注意を払っていなかったと思う。」
なぜ、電源ケーブルへの意識が低かったのか?
「相方の仕事ぶりを見ていて、この人と一緒の時はこんなもんでいいか、と思っている自分がいて、それが電源ケーブルの軽視につながったようだ。」
それだったら電源ケーブルだけではなく、ノートPC本体への意識も低かったのでないか?
「いや、ノートPC本体は重要なので、きっちり確認していた。」
電源ケーブルは重要ではないのか?
「重要だと思う。でも僕自身の意識は低かった。」
両方重要なのに、なぜ、差が出たのか?
しばらく考えていると、仕事を一所懸命にしているイメージが湧いてくる。


「できる男」をアピールすれば

なぜ、そんなイメージが…と疑問に思いながらも、更に「その差は何か?」と念じ続けた。
すると、仕事を一所懸命していれば、先輩たちから「Kaneshiro君は、頑張ってるな、しばらく休憩してイイよ」と言われるのでは?、という心の底の気持に気づかされたのだった。
その時だった。ピンと閃いて、全てがつながったのだ。


自分も知らない無意識の本音

PC本体のような重要な物は、目立ちやすい。

目立つ物を扱っていれば、僕も目立って見えるはず。

そうすれば、一所懸命に仕事をしている様に見えるだろう。

上手にさぼることができる!


自分を責めている と気づく

あっ!まだまだ心の奥に「さぼり癖」が残っていて、それを隠そうとしていたんだ…。ふー、情けないなぁ、ズルイなぁ… いつまでこんなことしてるんだろう…。

■以後、自分の「さぼり癖」を責め始め、苦しくなっていく。

…おっと! さぼり癖を持つ自分を責めているぞ!
そうか!これが僕の心の癖なんだ!


それが「自責の念」を、はじめて客観視できた瞬間だった。

以前から僕は、自分の改善点に気づいた後、それを見つけた喜びよりも、「まだ悪い部分が残っている自分」を責めることが多かった。それを以前、いくよ先生に指摘されていたのを思い出し、「上手にさぼろうとしていたズルイ自分を責めるのではなく、改善点を発見した自分を褒めてみよう」としてみた。

今回、ともすれば同一化してしまいがちな「罪悪感」を客観視できたのも、その後、前向きに対処できたのも、以前に教室で僕の弱点を指摘してもらっていたからだと思う。


自分を褒める

目を閉じて「内面の自分」と向かいあっているイメージをする。そのとき「内面の自分」は、今回、見つけられた「さぼり癖」を必死で隠そうとしていた。
その自分に対し、笑顔で頭をなでるようにビジュアライズする…。
しばらく続けると、不思議と心が晴れやかになっていったのだった。
改めて「今まですごく自分を責めていたんだなぁ」と思い、僕自身「誉められたい、認められたい、と強く望んでいたんだ…」と実感した。


好奇心が恐怖に勝った

今回、“運がいい”と毎日唱える宿題によって「僕は運がいいんだ」と自信が持てた。だから、今回のように冷静に「失敗の原因」を追究できたと思う。今まで、自分の内面を見るのは「つらいこと」なので、すごく勇気がいったが、今回は「つらい気持ち」よりも「僕は運がいいのになんでだろう?」という疑問や好奇心が強かったため、恐怖を突破できたんだと思う。
今、成長している自分を実感している。僕はとっても運がいい!



Kaneshiro君は、現在20代半ば。うまくいかない原因が「心の癖」としてあり、それを除去するための内省を非常に恐れていました。
人は皆、プラスとマイナスの両面持っています。しかし、その「ありのままの自分」を認めるのは、心が強くないと難しいようです。影の部分も一度認知すれば、「なせ今まで、自分の悪い側面を認められなかったのだろう?」と疑問に思えるほどそれは苦痛で無くなるのですが、やはりしっかり内省ができてないうちは怖いものなのでしょう。

通常、人には、「さぼるのは悪い」という心の枠組み(価値観)があります。それは当然のことと思います。
よって、自分がさぼれば、「自分を責めてしまう心理」が発動します。その罪悪感に対する反応は、いくつかのパターンに類別できます。
鬱傾向にある人は、「罪悪感と同一化」してしまいやすい心理が働くのですが、次にそれ以外の「罪悪感を回避しようとする人」が選択する幾つかの方法を上げてみましょう。

以後、さぼらない。無理しない。(前向きの選択)
さぼっていても、「自分はさぼっていない」と言い聞かせる。
優先順位の低い仕事をして、「忙しいから仕方ない」と自分にも他人にも言い聞かせるが、実はさぼっている。(「忙しい」というのが口癖の人を観察してみよう)

他にも方法はありますが、前向きなようでも成功できないでいる人たちを見ていると、これら「本当の自分の側面」を知るのを避けて、「心地よい言葉でカモフラージュする心理」が潜在的に働いています。
また、それを突き詰めていけば、おおかた「めんどくさがり」と「失敗への恐れ」に集約されてきます。ここ最近の、「成功の手法や体験談などの豊富な叡智」に文字でふれる機会が増えた現代において、「失敗への恐怖」より、「怠惰」の方が、成功を妨げる比率の多くを占めている、と私は感じています。
ではその「めんどくさがり」はどこから来たのか? と探っていけば、多少の差はあれ、性格が形成される時期の「親の過干渉」に根を見ることが、一人っ子の多い現代の特徴でしょう。また「親の過干渉はどこから来たのか?」と追求していくと、多くは「親の恐怖や不安」にたどり着きます(「〜ちゃんのためを思って」などが過ぎる場合は、不安の裏返し)。これを更に突き詰めていくと、先祖からの環境因子を受け継いできた親のそのまた親へと続いて行きます。そう考えると、ブッディズムの「親の因縁・因果が、現在の幸・不幸を生じさせている」という主張は、よく追求した思想ですね。

閑話休題、一度身に付いた「めんどくさがり」は、そうそう治るものではありません。しかし完治しなくとも、改善を続けることで、光も差してきます。

人を前向きに行動させるのは、脳のメカニズムから見ても、「心地よさや快楽」といえるでしょう。このレポートの作者のように、興味・好奇心などの好感情が「マイナス面を突破する鍵」となり得るのです。とすれば、そこに、「めんどくさがり、を好転させる手法が隠されているはず」と推論できるのではないでしょうか?

そこで私は、そのヒントから、「今しておけば後が楽!」というアファメーションを作ったのです。
「楽」しようして手を抜く代わりに、
「楽」するためには、早めにかたづけておく、としました。
毒をもって…のように、価値観をリバースさせて、本音である「楽をしたい」という気持を否定しないのがミソ。
むしろ本音の発露として、河の流れに沿うがごとく、「積極的に楽ができるよ、今しておけばね」と、意識を誘導するのがこのアファメーションの特徴です。
このように、アファメーションを考えるときは、「柔道の、引かば押せ、押さば引け」のように、コンフリクト(葛藤)を避ける方向で考えていけば、自分にしっくりくる言葉が見つかります。ですから「自分の本音を知る」ことが大切です。

このアファメーションは最後の「楽」という部分を強調するところが、多くの人に受け入れられる要素でしょう。それを彼だけでなく、その週の宿題として生徒さんに出し、しばらく心の中で唱えてもらったのです。その効果は思った以上に…♪。sada

参考、親の過干渉 「〜なさい!」と育てられたら ≫
「今しておけば、後が楽」のインストール方法 ≫


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