瞑想教室 report

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「怒り」を見つめて


 

「怒り」を無視していた私

最近、自分が何でもない時にイライラしたり、ムッとしていることに気づき始めた。もちろん原因はある。時間が迫っているとか、嫌なことを言われた後とか。


以前はそんな時、その感情をなかったかのように無視し、(イライラしながら)普通になるまで時間を過ごしていたように思う。
そうすることによって自分は、「怒らない人」というスタイルをくずさずに済むと無意識に思っていた。


なぜそんなことをしていたのかと考えると、私が小さい頃、父親がよく怒っていたことが心に浮かんだ。私も妹も、そして母もそんな父を嫌っていた。いつの頃からか私にとって「怒る」とは、きらわれることを意味するようになっていったようだ。


「怒り」は認めると静まっていった

そして「怒らない私」というスタイルを身につけていたように思う。正確には、怒ってもそれを認めない、気づかないというとてもおかしな自分を。そして今私は、「いかり」という感情にアンテナを張るようにしている。怒りは無視することにより、より大きなエネルギーとなってしまうが、認めることで不思議に静まってゆくことを体験している。


そんな私にとって今や「怒り」は、恐ろしいものではない。
早いうちに気づくことで、簡単にガスを抜くことが出来る。
今にして思えば私の父も、怒りを認めず、限界に来て家族に怒っていたのだと思う。


知らず知らずに父の後を負っていたのかと思うとゾッとしている。
今自分が何をやっているのか、何を感じているのかに気づく練習をやってきて、本当によかったと思っている。

両先生には、とても感謝しています。


瞑想法を三要素に分けてみました。
1.観察(自己観察・他者観察による現状の認識)
2.積極的に思考や感覚をコントロール
 (自己暗示、自問自答、アファメーション、感覚制御、ゾーン、etc)
3.身体技能としての瞑想法(呼吸、など)

「怒りのコントロール」では、【1】の自己観察が有効です。
では、その技法に少しふれてみましょう。

■怒りのプロセス
通常、「怒り」が起こると、注意の対象他者(及び他者の行為)へ向けられます。
 「あのバカやろう!」など思うようにです。

怒りをコントロールする場合、その注意の対象を、自分の気持ちへ一度戻します。
 「あぁ…今私は、怒りを感じているのだ…」というようにです。
通常なら、それだけで「判断」が冷静になってきます。

楽しいゲームでも続けていれば飽きが来るように、脳は同じ刺激を好まない性質があります。「怒り」を感じたら、胸に意識を集中して、もやもやした怒りの感覚そのものを味わうように試してみましょう。ここでは、怒りをしばらくの間、感じ続けることが大切です。

■さらに怒りを溜めない方法
洗面器に水を満たし、顔をつけて、
「○○のバカヤロー!嫌いだー」「くそったれーー!」
などと、大声で叫びます。
これは声が周りにあまり漏れないし、もし近くに人がいても何を言っているのかわかりません。
何度か叫べば、スッキリしてきます。

「怒りの感情」を適切な方法で表出させずに抑圧すれば、多くの場合「自己中心的な正義」で他者を批判し、自分の意地悪を正当化する性格が形成されます(このタイプは、意地悪するとき「わからせてやる!」と相手に思うのが特徴で、本人的には正義感に燃えているから始末が悪い)。

「怒ってはいけない」のではなく、「怒った後の対処が大切」と私は見ています。怒り続ける時間はもったいないし、その間の気分は悪いし。そんな状態は、あなたに怒る原因を与えた相手の思うつぼかもしれません。本当に許せない怒りなら、法的手段も視野に入れましょう(弁護士の相談費用:最初の30分は¥5.000 + 税)

Mukaiさんは、「怒りを感じる」という手法で感情を平静に戻せることを知りました。この項では「怒り」そのものを否定していません。「怒り」は脳の機能から見ても自然な感情です。むしろ、適切なシチュエーションで怒れないことから生じる弊害もあります。
Mukaiさんなら、さらにこの技法を洗練していかれるでしょう。sada


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