意識と瞑想

 ■瞑想の技能_01

無になる



瞑想の「無」

クラシック・コンサートの終盤。楽器の音が徐々に小さくなり、観客は消え入ろうとする音に全神経を集中している。…やがて「静けさ」が一瞬会場を包み込んだあと、一斉に割れんばかりの拍手が。

この「一瞬の静けさ」のとき観客は、音が消えたことで、"集中する対象(音楽)"を失ってしまう。しかし、集中だけは残っている状態だ。

これは瞑想中の"無"への集中と同じである。禅では、この状態に入ることを「無の境地」と表している。その言葉の響きは、いかにも深遠そうに聞こえるため、「瞑想ではなかなか到達しない意識の状態」という誤った印象を我々に与えている。


このときの意識は、「リラックスしながらも、高度に集中している状態」。脳で言えば「左脳的な雑念がなく、右脳的な感覚が研ぎ澄まされた状態」であり、以下と同じとみてよいだろう。

有能な人が、最高にノって集中し、仕事をしている時。
好きなことを、我を忘れて没頭している状態(忘我)。

ピークパフォーマンス・無への集中・Zone

その状態では、意識が研ぎ澄まされ、知覚が敏感になっている。それは、「禅の高僧になると、座禅中に小さな針が畳に落ちる音までも聞こえている」とする例からも理解できるだろう。

この状態を続けていれば、さらに研ぎ澄まされた覚醒状態へ意識がシフトしていく。

スポーツ中の例を挙げれば、

  • 突然、360°視野が広がる感覚になる。
  • そのときは、まるで後ろにも目がついいているように、周囲の状態を全て把握できる。
  • 同時に、周りの動きが非常にゆっくりに見える。
  • 精神は高揚しながらも驚くほど冷静になり、ゲームを自己のコントロール下におくことができる。

格闘技では、相手のパンチや蹴りがゆっくり見える。
モータースポーツでは、スピードが止まっているように見える。いつもなら敏感な車の挙動が、その状態になると、とても穏やかに感じ、限界付近のスライド・コントロールを非常に余裕をもってできる。


このような状態を、一般的にピーク・パフォーマンスと呼び、スポーツ界では、Zone(ゾーン)という言葉で知られている。これは、非常に集中を続けている人が、偶発的に突入する稀な意識状態とされ、通常より覚醒度の高いいわば超覚醒といえる。「寝ている状態」を覚醒度のスケールで、もっとも低い状態とすれば、この「ピークパフォーマンス」は、覚醒度のもっとも高い状態。

「ピーク・パフォーマンスへの突入は、偶発的でコントロールできない」、とする考え方がスポーツ界で一般的だが、日常の「無になる瞑想(Zone瞑想と呼んでいいかも?)」の訓練により、ある程度コントロール可能になってくる。

無になる瞑想法 … 実践編

瞑想中、集中できる対象を決め、そこに集中する訓練を続けて、Zoneへの突入を試みる。

瞑想の基本的な流れ

  1. リラックスした後に、意識を深めていく
  2. 意識をとぎすませる集中を続ける
  3. 瞑想状態から、通常の覚醒にもどす

1. リラックスした後に、意識を深めていく

できるだけ静かな場所を選ぶ。この瞑想では、BGM不要。
ストレッチなど、体をリラックスさせたあとに、椅子に座る。このとき結跏趺坐など座禅の足組みをしないのは、足のしびれにより、集中が妨げられるのを防ぐため。トラディッショナルな瞑想を踏襲されてきた人には異論もあるでしょうが、一度、先入観を捨て、試してみよう。

頭上に、空き缶を乗せ、落とさぬようバランスを取る。
これは寝ないための工夫。禅寺では、座禅中に眠気におそわれたとき、寺側と参禅者の合意のもと、警策(けいさくorきょうさく)と呼ぶ棒で、参禅者のを肩をたたいて、眠気を飛ばす。

しかし、我々が自宅でする瞑想では、どうしても緊張感に欠けやすく、眠くなりがち。よって、一人で瞑想をしても緊張感が得られるよう考慮した。

目をつむり、腹式呼吸をする(以後、瞑想中は続ける)。


2. 意識を研ぎ澄ませる集中を続ける

頭頂部に意識を集中させ、「缶の重さ」を感じる。そこの感覚が「どんどん敏感になっていく」と意識する。このとき、言葉の暗示ではなく、感覚的な意識の集中に徹する。(※できないうちは、言葉の暗示でも可)

頭頂と音、両方に集中。
頭頂部を敏感にさせたまま、同時に「周りから聞こえる音」へ集中する。例えば、エアコンの音が聞こえているとすれば、その風の音やモーター音などの微細な変化をどれだけ聞き取れるか挑戦するつもりで音へ集中する。

集中を広げる。
家の外から聞こえる、普段では聞き取れないほどの「遠くの非常に小さな音」を聞こうと集中する。「私の意識は研ぎ澄まされていく」と心の中で1度だけ強く念じる。このときは、考えごとをする時のように、頭の中で声に出してもよい。頭の中で思いを言葉にすると、脳では、左脳の言語野と呼ばれる部位が活発となる。そこで右脳を優位にするために、言葉ではない「音を敏感に聞こうとする感覚」に注意を向ける。

音や感覚へ集中するのは、左脳優位の通常の状態から、
右脳的な感覚に、意識の中心を移行させて、
排他的に雑念を排除する効果もある。
そのため、見かけ上の「雑念の停止・抑制」に注意が向きがちに。しかし、この瞑想の目的は「感覚の鋭敏化」だ。

このとき、頭頂〜室内音〜屋外の小さな音、それら全ての音に対して均等に集中を続ける。そのまま続けると、意識が敏感で研ぎ澄まされた感覚になっていく。

雑念が生じたら…
瞑想になれていない場合、まだ左脳が優位なので、しばらくすると雑念が生じるのは普通だ。できなくてもここでガッカリしない。むしろ、最初からできないのは当たり前と考え、以下の対策をする。

左脳的ということは、言語野が活動しやすい状態だ。それなら、逆にそれを利用し、頭の中で「意識が研ぎ澄まされていく!」と集中し、唱え続けてみよう。
こうして左脳をアファメーションで忙しくさせることで、「左脳的な雑念」が出るスキを与えない工夫をするのだ。

終了まで約40分。これは、おおよその時間。とりあえずこのくらいから始めよう。

3. 瞑想状態から、通常の覚醒にもどす

意識が研ぎ澄まされていると感じたら、瞑想を終える。

  • 深呼吸を2〜3回する
  • 両手の平を握って力を入れる
  • 背伸び、あくび、首を回す

あらゆる事に敏感になっている自分が…
うまくいけば、目を開けたとたんに、物の輪郭が際だって見え、色が原色にシフトし、視野が拡大し、周りの音がやかましすぎるくらいに聞こえるだろう。また周囲の動きがスローモーションのように感じる事もある(個人差あり)。そのときは、通常では気づかない程の「微細な変化」を捕らえられるほど意識が鋭敏になっている。

このとき右脳だけでなく、脳幹網様体と呼ばれる情報を取捨選択する脳の部位が、「通常では無視していた周囲の膨大な情報の洪水をそのまま大脳皮質全体に投射している状態」と考えられる。

内なる声
知覚全体が敏感になっているため、「内なる声」が聞こえてくる時も少なからずある。自己の内面へ疑問などを問いかけ、心の声に耳を澄ましてみよう。

さてこの意識状態を、何に応用したいだろうか?
スポーツ、格闘技、レース、勉強、芸術、研究、仕事、真理の探究、etc、応用するのはあなた次第だ。


脳幹毛様体
外部からの刺激、例えば視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などのあらゆる感覚情報の中から、「現在の自分にとって、何が重要か」を決め、意識に上げる選択をしている。脳幹に位置する。

「脳の仕組み」日本実業出版社・新井康光博士より
「〜多くの感覚情報が脳内に同時に入っているわけですが、それぞれの感覚を区別して受容するシステム以外に、全体の情報量として受け取るシステムが脳幹には存在し、それを脳幹網様体と呼んでいます。網様体と言う名称は神経細胞と神経線維が網目状に入り組んでいるところから由来しますが、ここにすべての感覚情報が集束するようになっています。」

集中力をつける瞑想から始めるもよし!

無になる瞑想が、雑念ばかりなら…
Zoneに入るのはムズカシイと感じるなら、この瞑想をする前に、「集中力がつく瞑想」を2週間ほどしてみよう。

逆にそのときは、部屋にBGMを流したほうが、周囲の騒音が気にならなくてよいだろう。瞑想の姿勢などは変えず、リラックスさせたあと、ムリに意識を深めようとせずに、心の中で言葉にし、

  • 「集中がついている」
  • 「集中力がつきますように」
  • 「神様、瞑想中にどうしても雑念が出てしまいます。ですから集中力がつきますように」

などの、アファメーション(肯定的な自己暗示のフレーズ)を何度も唱えてみる。これを持続すれば、集中力がつき始めてくるはず。そうしたら、「無になる瞑想」に、Let's retry!



無になる瞑想では、心の力を使えないの?

「無になる瞑想」という言葉の響きから、額面通り、「心の機能をまったく停止させるもの」と捕らえて、この瞑想法を否定的にみる意見もなくはない。

潜在意識やイメージの力を、積極的に使うタイプの瞑想指導者に見られる傾向だ。同意されている読者も少なからずおられるだろう。

確かに、日本では「無になる瞑想」として広く知られている割に、この瞑想法は、多くの書籍を見ても、技法の詳細には、ほとんどふれられていない。現状では、「ただ、ひたすら雑念なくしていく先に悟りがある」という曖昧な表記が多数を占めていると感じる。


その点では、西洋の意識研究の方が先進的と感じる。「無になる瞑想」に類似の技法は、「オープンフォーカス」と呼ばれているイメトレだ。ピークパフォーマンスの研究から生まれた技能である。そして、ピークパフォーマンスの「清明で、より目覚めた意識状態」を、マクスウェル・ケードは「第五の意識」とも呼んでいる。(詳しくは、書籍メガブレインを参照)

また、日本のとある「右脳トレーニングの書籍」では、オープンフォーカスを、「視覚の焦点(ピント)を意図的にはずして、ボーと見つめる」とだけしか記されていなかった。その中では、「意識の集中」に対し、ほとんどふれていないため、読手に「意識もぼーとさせる」という誤った印象を与えかねなかった。


いずれにせよ「無になる」を、「左脳的な言語活動の優位から、感覚的に研ぎ澄まされた脳活動へ推移する」と捕らえてくれれば、その効能を推測できるだろう。この記事を目にした皆さんが、伝統的な解釈にとらわれず、実際にZoneへ入る体験をされて、「無になる瞑想法」を実生活で役立てることを願っている。まあ、使ってなんぼですからなぁ。

2004年9月17日 佐田弘幸



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